経験の共有

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井上尚弥のスパーリングパートナーの通訳をした話

 

二度、井上尚弥選手がスパーリングをしている姿を見た時がある。

両方とも距離的に、リングから周囲数メートルの所で見ていた。

一度、海外から井上選手とスパーリングをするためにやってきた選手がいた。

メキシコから来た選手で、過去に長谷川穂積選手からダウンを奪った選手だった。

 

名前は、当時WBO世界スーパーフェザー級5位カルロス・ルイス(メキシコ)

強烈な右を武器にキャリアを築いてきた選手である。

スパー前のアップをしていたカルロス・ルイス(メキシコ)選手のシャツは「Football」と書かれたよれよれのモノだった。眼鏡をかけ、本当にボクサーなのかと疑いの視線を関係者から注がれていた。ジムの関係者に僕は声をかけられ、通訳をしてくれないかと依頼をされた。

スパーリングの前のアップ時間やスパーリングのラウンド数はどうするかといった内容だった。また、スパーリング後の感想についてもカルロス・ルイスに聞く事になった。

 

スパーリングが始まるとジム内が静まり、カルロス・ルイスの表情は一変した。

拳に人生を賭ける男の表情になっていた。スパーでも相手が井上尚弥となると、モチベーションは他の選手とは異なり、絶対倒してやると燃えてくるそうだ。

国内では、井上尚弥選手とのスパーリング依頼がかかった選手の中には、スパーリングを断る選手が少なくないそうである。その理由は、面白い。

 体が壊されてしまったり、世界王者を目指してやっている1ボクサーとして自信を喪失してしまうからである。スパーリングでさえ圧倒的な実力差を見せつけ、相手選手の体だけでなくメンタルをも破壊してしまうのが井上尚弥選手である。

 

 スパーでの井上尚弥選手は、試合の時よりも当然だが落ち着いていたように見えた。

ジム内が静寂な雰囲気になっている分、両選手の息使いが聞こえてくる。

初回は井上尚弥選手は相手のパンチや距離感を分析していた。時折、左ジャブを打ち、相手との距離を測りながら、右ストレートが当たる距離感を確認しているようだった。

そして、2ラウンドに入ると、ロス・ルイス選手はパンチを打ってもヒットしなくなり、ただひたすら井上尚弥選手のパンチが上下に打ち込まれていた。

 

見ていて、正直、「大丈夫なのか」とぞっとした。

同時に、赤穂選手が言っていた「井上尚弥選手とのスパーをバックレたり、避けたりする選手が存在する。」という事が分かるような気がした。

ボクシングという弱肉強食の世界で生きる選手が、井上尚弥選手との圧倒的な実力差を感じた時、それを自分の中でどう消化していいのかわからなくなるからだ。

また、井上選手のパンチを延々と打ち込まれると確実に選手生命は短くなる。そのため、世界でも屈指のボクサー井上尚弥のスパーを避ける人が存在するという事を少しだけ理解できたような気がした。

スパー後、カルロス・ルイス(メキシコ)に感想を聞くと、「スピード、パワーがずば抜けていた。ジャブと右ストレートが今まで一番早くて強かった。」と言っていた。

井上尚弥選手のジャブは、他の選手の右ストレートの威力に匹敵すると言われている。もはや人間ではない気がしてくる。ほぼ同じ体重にも関わらず、なぜこれだけのパンチ力に差が出てくるのか、理解できなかった。井上尚弥選手は、握力が一般成人男性並みであり、秀でた身体能力があるわけでないそうだ。

そうすると、体の使い方?父親でありトレーナーである真吾さんの指導方法にヒントが隠れているのかと様々な事を想像してしまう。

 

WBSSシリーズでフィリピンの閃光と呼ばれる5階級王者・ノニト・ドネアを倒し、優勝した井上尚弥選手は、今後、どのようなキャリアを歩んでいくのか、

誰もが気になっている事であろう。

フィリピンのカシメロ、南アフリカのゾラ二・テテ、フランスのウバーリ、そしてバンダムに落としてくるかもしれないリゴンドー等同階級には依然として好敵手が存在する。

 

井上選手は、これからどうなっていくのか、

一ボクシングファンとして、楽しみで仕方がない。