経験の共有

面白い事を追いかけて、それを自分の目で確かめる事をモットーに

社会人の勉強方針について 2年間毎日学習を継続した経験

 

社会人の平均勉強時間が数分だとかいう記事を偶に見る。

記事で何が言いたいのかというと、学生までは勉強してた人が、社会人になると勉強しなくなるという事である。

それは、社会人になると仕事で精いっぱいでくたくたになり、仕事外の時間は娯楽や交友関係に時間が使いたいと言う人が多いからなのではないだろうか。

いたって普通の考え方である。

 

私は、2年間、正確に言えば2年と2か月ほど毎日何かしたらの自主学習を継続してきた。今までダラダラしていた時間を、自分の将来に必要であるなと感じた事に時間を費やしてきた。その過程で得た知識は資格に限らないし、仕事に関する疑問・単語をまとめたノートを作成し、その内容について調べ纏めたりしている。

得た資格は以下の通り。

TOEIC公開テスト 850点

・簿記2級

・BATIC 国際会計検定

・貿易検定C級

・自動車免許

廃棄物処理検定 *独学 65点で落ちた

USCPA:現在勉強中*独学

 

2年間コツコツやればここまで取得することができる。

この資格を取る事に対する対価は、個人的に以下のように考えている。

・客観的な実力提示:全く自分の事を知らない人に自分がどういうスキルを持っているかを証明する指標。

・信頼:コツコツ積み重ねられる人という印象を与える。

一方、こういった資格取得以外に、同じくらい大切だと感じている学習内容がある。

 

仕事では幅広い分野の業務に触れる。

エレクトロニクス業界の分野だけで言っても、電池や半導体、高機能性フィルム、といった製造品の製造工程や業界情報があり、その他、リサイクル、微生物、プラズマ、断熱材、熱伝導部材にも関わる。広く浅くだと、中々突っ込んだ提案が出来ず、薄い内容になってしまう。

仕事内でその知識をキャッチアップしようとしても、既存の業務があるので、追いつけない。そこで考えたのが、業務で気になったワードをメモし、休日に調べる作戦であった。一つ調べてみる際、3つ程度記事を見る。そうして重要なポイントをメモするのである。調べる中、知りたい事が沢山出てくる。また、次の機会に調べるのである。

 

知識がどんどん広がっていき、異なる分野の内容でもかかわりが見えてきたりする。

そこで仕事上で実際にコラボレーションさせるのである。

どんどん面白いアイデアが出てくるのだ。

 

こういった学習は、資格には直結しないし、自分から周りの人に説明しない限り理解してもらえないだろう。けれど、興味関心・あくなき探求心をずっと持ち、行動に起こしていれば目に見えない大切な宝物となって、自分のストロングポイントになるだろう。

 

 

ルワンダ虐殺とウクライナ 自分が感じる事

 

現在、ウクライナで戦争が起き、多くの人が命を落としている。

遠い国ウクライナ。そう考える人も少なくないかもしれない。

ニュースで放送され、リアルタイムで現地の状況が流れてくる。

2022年に本当にこんなことが起きるのか、非現実的な光景を見て、

どこから遠い国で起きている信じられない事、日本では考えられない事のように思える。

 

今回の戦争が起こった背景、ロシアとウクライナの関係はすでに多くの媒体を通じて説明されているので、そこには触れず、私のこれまでの経験から、感じている事をシンプルに記載する。

 

私は、大学時代にアフリカ・ルワンダへ訪問し、現地の一般家庭でおおよそ数か月過ごした。目的としては海外に行ったことがこれまでなかったので、どんな感じなのかなと肌で感じたかったのと、1994年に起きたルワンダジェノサイドがきっかけであった。論文・本・YOUTUBEを通じて自分なりに色々調べたり学んだけれど、実際行ってみて、どんな状況なのか深く理解したい、そう思った事がきっかけだった。

卒業論文ルワンダジェノサイドについて作成した。

 

最も衝撃的だったのは、ルワンダジェノサイドの虐殺記念館という施設に訪問した時だった。虐殺でなくなった方の写真が施設の中にいくつも貼られていて、親族と思われる人がずっと泣いていた。また、自分の足元のコンクリートには、亡くなった方たちが埋められている事を聞き、正直、鳥肌がたった。

こんな世界があること・こんな出来事が本当にあったということ、それ自体は本とかで理解していたものの、現地に行き初めて肌で感じた事で、身近に感じられた。

罪のない人たちが命を無くし、20年以上前の事に対して、今もなお悲しみ、悲しんだとしてもどうにもならないような事が起きているんだと思うと、

人間の争い・戦争ってなぜそこまでしてやるんだろうと思った。

それをきっかけに、就職活動では、途上国でヘルメットをかぶって、インフラを整えるような仕事に就いた。間接的になにか出来ないか、そう思った自分がいた。

 

話は逸脱してしまったが、現在、ウクライナでも罪のない人達が命を奪われている。

色々、起きた理由・関係はあったのだと思う。

けれど、関係ない罪のない人たちが、国の政治の中枢・指導者の人たちの意向で

命を奪われるのは許されない事だと思う。

スイッチを押せば、ミサイルが発射され、命令を下せば破壊活動を続ける。

恐らく、感覚がおかしくなっているんだと思う。手触り感がなく、自分が行っている行動への理解が追い付いていないかもしれない。

その迷惑を、一般の人たちが被っている。

この悲しみは、戦争が終わってからも続いていくことである。

 

今、自分が出来る事は正直あまりない。

ウクライナへ行く義勇兵に立候補するほど、勇気があるわけではないし、

仕事を手放して、ウクライナのために、何かをするわけでもない。

ただただ祈るだけである。早く戦争が終結して欲しい。

USCPA独学 

 

現在、USCPA試験の勉強に取り組んでいる。

独学といってもなんちゃって独学であり、本物の独学ではない。

メルカリで販売されていたUSCPAの教科書を買った。合計32冊くらい。

昨年の7月から開始し、現在19冊目といった感じである。

 

USCPAを学びたかった理由は、海外勤務での経験と簿記→BATICと資格を取得し、さあ次いこうとなったからである。そして、なぜ独学しているのかというと、アビダスなど予備校に登録するには結構な費用が掛かるので、自分自身でまずは学んでみて「いけるかいけないか」判断をしたかったからでもある。

やってみた感想としては、まあおもろいなくらいである。

 

現在、私はBtoBの営業職に就いており、

エレクトロニクス業界中心に、既存&新規営業・製品開発営業・リサイクル業務に取り組んでいる。会計との接点はそこまでないが、昨今の世の中、経営状況が悪化し、

倒産する企業も少なくないので、ある程度の会計知識を持っておくことは強みである。

そのレベルだと、簿記2・3級くらいでちょうどよいと思う。

 

では、なぜ?USCPAなのか。

それは、海外で働いたことがきっかけだった。

新卒で入社し、冬になると-25℃になるような国で働いた。

オフィス業務と肉体業務に分かれており、両方経験をした。

その時、私にはビジネスで生かせる知識はなく、なんでも屋さんのような役割となっていた。若さも大事であるが、やはりスキルの存在は重要であることを身をもって感じた。あなたは何ができるのですか?と問われたような気がした。

それ以来、私は海外の色んな環境でも行かせられるようなスキルや専門知識を習得しようと考え、段階を踏み、USCPAにたどり着いた。

 

この資格は自分にとって魅力的である。

とりたい、そう純粋に感じさせられるものだ。

勉強して分かったのは、何かを緻密に計算するというより

ルールを学んでいくことが多いなと感じた。

そこは簿記と違うなと思った。

とってみたい、まずは32冊を1周。ここからがスタートである。

走っていく。千里の道も一歩から。

 

井上尚弥のスパーリングパートナーの通訳をした話

 

二度、井上尚弥選手がスパーリングをしている姿を見た時がある。

両方とも距離的に、リングから周囲数メートルの所で見ていた。

一度、海外から井上選手とスパーリングをするためにやってきた選手がいた。

メキシコから来た選手で、過去に長谷川穂積選手からダウンを奪った選手だった。

 

名前は、当時WBO世界スーパーフェザー級5位カルロス・ルイス(メキシコ)

強烈な右を武器にキャリアを築いてきた選手である。

スパー前のアップをしていたカルロス・ルイス(メキシコ)選手のシャツは「Football」と書かれたよれよれのモノだった。眼鏡をかけ、本当にボクサーなのかと疑いの視線を関係者から注がれていた。ジムの関係者に僕は声をかけられ、通訳をしてくれないかと依頼をされた。

スパーリングの前のアップ時間やスパーリングのラウンド数はどうするかといった内容だった。また、スパーリング後の感想についてもカルロス・ルイスに聞く事になった。

 

スパーリングが始まるとジム内が静まり、カルロス・ルイスの表情は一変した。

拳に人生を賭ける男の表情になっていた。スパーでも相手が井上尚弥となると、モチベーションは他の選手とは異なり、絶対倒してやると燃えてくるそうだ。

国内では、井上尚弥選手とのスパーリング依頼がかかった選手の中には、スパーリングを断る選手が少なくないそうである。その理由は、面白い。

 体が壊されてしまったり、世界王者を目指してやっている1ボクサーとして自信を喪失してしまうからである。スパーリングでさえ圧倒的な実力差を見せつけ、相手選手の体だけでなくメンタルをも破壊してしまうのが井上尚弥選手である。

 

 スパーでの井上尚弥選手は、試合の時よりも当然だが落ち着いていたように見えた。

ジム内が静寂な雰囲気になっている分、両選手の息使いが聞こえてくる。

初回は井上尚弥選手は相手のパンチや距離感を分析していた。時折、左ジャブを打ち、相手との距離を測りながら、右ストレートが当たる距離感を確認しているようだった。

そして、2ラウンドに入ると、ロス・ルイス選手はパンチを打ってもヒットしなくなり、ただひたすら井上尚弥選手のパンチが上下に打ち込まれていた。

 

見ていて、正直、「大丈夫なのか」とぞっとした。

同時に、赤穂選手が言っていた「井上尚弥選手とのスパーをバックレたり、避けたりする選手が存在する。」という事が分かるような気がした。

ボクシングという弱肉強食の世界で生きる選手が、井上尚弥選手との圧倒的な実力差を感じた時、それを自分の中でどう消化していいのかわからなくなるからだ。

また、井上選手のパンチを延々と打ち込まれると確実に選手生命は短くなる。そのため、世界でも屈指のボクサー井上尚弥のスパーを避ける人が存在するという事を少しだけ理解できたような気がした。

スパー後、カルロス・ルイス(メキシコ)に感想を聞くと、「スピード、パワーがずば抜けていた。ジャブと右ストレートが今まで一番早くて強かった。」と言っていた。

井上尚弥選手のジャブは、他の選手の右ストレートの威力に匹敵すると言われている。もはや人間ではない気がしてくる。ほぼ同じ体重にも関わらず、なぜこれだけのパンチ力に差が出てくるのか、理解できなかった。井上尚弥選手は、握力が一般成人男性並みであり、秀でた身体能力があるわけでないそうだ。

そうすると、体の使い方?父親でありトレーナーである真吾さんの指導方法にヒントが隠れているのかと様々な事を想像してしまう。

 

WBSSシリーズでフィリピンの閃光と呼ばれる5階級王者・ノニト・ドネアを倒し、優勝した井上尚弥選手は、今後、どのようなキャリアを歩んでいくのか、

誰もが気になっている事であろう。

フィリピンのカシメロ、南アフリカのゾラ二・テテ、フランスのウバーリ、そしてバンダムに落としてくるかもしれないリゴンドー等同階級には依然として好敵手が存在する。

 

井上選手は、これからどうなっていくのか、

一ボクシングファンとして、楽しみで仕方がない。

早大世界史で満点を取った話【大学受験】

 

過去の話になってしまうが、私は、現役時代に早稲田大学に合格し、入学した。

当時の私は、高校3年の夏まで硬式野球部に所属しており、レギュラーになるため、週7日練習に励んでいた。

大学受験に当たり、早大受験に向けて本格的な受験勉強を始めたのは、高校野球全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)予選に負けてからだったと記憶している。

高校で2年半もの間死に物狂いで野球に尽力した後、受験勉強へとシフトしたのだ。

 

結果は、早稲田大学に合格し、入学できた。

受験では半年という短い期間の中でどれだけ勉強できるか勝負だったので、自分の頭で考えて随時試行錯誤をしながら、入試に挑んだ。

大学受験では、世界史・英語・国語の3科目を選択した。

どの大学も世界史と英語をある程度固めて、国語を平均点前後取れば合格できる水準にあったのでやることは明確だった。英語と世界史は努力が反映される科目であるので、大学受験は一部の大学を除いて才能はそこまで必要ではないのである。

受験を通じて、正解がない中で自分なりに考えて何かをするのが好きになった。

 

今回は、世界史についてどのように勉強をしたのかを記述しようと思う。

ちなみに、なぜ日本史ではなく世界史を選択したのかというと、小さい頃に遊戯王カードにハマっていた時があり、モンスターや登場人物が世界史の重要人物だったり神として崇められていた事から、名前やストーリーを覚えやすかったからである。

胡散臭い自慢ではなく、出来る限り経験を共有する形で言葉を選んでいこうと思う。

 

▼受験した学部

 

・文化構想学部

・文学部

教育学部(第一志望)

人間科学部

また、他大学では上智大学の総合人間科学部教育学科(?)も受験し、世界で9割を記録し合格。

早稲田大学では、文化構想学部の世界史はかなり平易なものとされているが、満点を獲得できた。他の学部では、一番悪い時で8割5分(人間科学部)、他は9割前後(教育学部、文学部)だった。安定して成績を残せたと思う。

浪人生からしたら、「まあいけるっしょ」という意見も受けそうだが、私は夏まで高校野球をしていたので、勘弁していただきたい。

 

受験勉強を開始した当初、私は、東京にある大手塾に通っていた。

週に1コマずつ英語・国語・世界史を受講し、他の時間は自習に充てていた。

どの科目の先生もプロフェッショナルという事で授業が面白かった。私の中で予備校における授業の存在は、受験勉強のペースメーカーだった。授業の中で実力をつけるというよりも、自分の今の実力がどのくらいなのかを判断する機会であったり、勉強へのモチベーションを落とさない場であった。

自習に関しては勉強法がわからなかったため、とりあえず書店で表紙がいけてる参考書を買い、野球で培ったガッツを生かして勢いのまま朝から晩まで勉強し続けた。「部活を最後までやっていた人は勢いがある」と言われるが、それは本当だと思う。高校野球をやっていた人ならば理解できると思うが、早大受験もあの練習に比べれば大したことではないのである。

 

 

▼当時、選択した参考書

 

実力をつける世界史100題(これはかなり難しかったw)

実力をつける世界史100題[改訂第3版]

実力をつける世界史100題[改訂第3版]

 

 

世界史論述問題集(確か、山川が出していたやつ。表紙がかっこいいw)

詳説世界史論述問題集

詳説世界史論述問題集

 

 

関東難関私大入試対策用世界史問題集

関東難関私大入試対策用世界史問題集

関東難関私大入試対策用世界史問題集

 

 

 

当時の私は、とにかく量が大切だと思い、上記の難関な参考書をかたっぱしからこなしていた。一日12時間勉強するとして、世界史に3-4時間を費やしていたので、かなり非効率な勉強方法だった。

この勉強法が非効率だと気付いたのは、高校で受けた夏終わりの河合塾の模試だった。

 

模試では、世界史の点数は良く偏差値も早稲田大学の水準には達していたものの、度忘れしたり何となくという回答の仕方を何度もしたことを覚えている。世界史は、確実に得点すべき科目だった事も関係して「どうした事か」と悩んでいた。一度立ち止まって、野球をしていたころの経験を思い出してみる事にした。スランプに陥った時、どのように対処していたかを振り返った。私は、スランプに陥ると、今までとは異なる打ち方などを試していた。しかし、そうすると、余計に何が正しいのかがわからなくなった。最終的な打開策として出てきたものが、野球を始めたころの打ち方を思い出すというものだった。構えは一番自分に合ったものを思い出し、そこから最短距離でボールを捉えるための軌道を描く事にした結果、速球にも対応する事が出来た。カーブの時は、ボールの下部分を打つことイメージして打った。大切なのは、一番最初の基礎に戻る事だった。その経験を生かして、世界史は、学校で配られた山川の一問一答を極め、わからない単語は用語集や資料集で調べる事を決意した。迷いもあったが、他の参考書には浮気せず、ひたすら基礎をこなす事にシフトした。そして、私が、入試本番まで意識したのは以下の3点であった。

 

 

1世界の一問一答(山川)を極める

一問一答と心中する決意を持つ。1日の中で1時間、世界の一問一答(山川)を全力で解く時間を作った。合っている問題には〇、間違った問題には×。二週目は、×の問題だけを解きつつ、〇の問題の文章は目で読んだ。どうしても覚えられない問題は、就寝前に何度も書いた。とにかく自分の全てを出し尽くした。誰でも出来る勉強法である。

 

山川一問一答世界史 第2版

山川一問一答世界史 第2版

 

 

2世界史の流れ

高校と予備校の授業では、世界史の流れを覚える事を意識した。単語ではなく、流れであった。単語を覚えるのは、一問一答で大丈夫だった。流れを人に説明できるように覚えた。点ではなく線で覚えるようにした。また、わからない用語は資料集や用語集で確認した。

 

世界史用語集

世界史用語集

 

 

最新世界史図説タペストリー 十七訂版

最新世界史図説タペストリー 十七訂版

 

 

3過去問をしっかり解いた。

例えば、第一志望だった教育学部の世界史は1990年代から解いた。その中で気づく事があり、似た問題が沢山存在するという事だった。回答は異なっていても、その周辺の用語は解説に乗っているので解説や問題文は繰り返し読むようにした。

 

早稲田大学(教育学部〈文科系〉) (2020年版大学入試シリーズ)

早稲田大学(教育学部〈文科系〉) (2020年版大学入試シリーズ)

 

 

 

本番では、最初に受験した文化構想学部の世界史で手ごたえを感じ、解答速報で採点すると満点だった。文化構想学部には、他学部と異なり、癖のある問題が少なかった。そのため、きっちりとポイントを押さえて勉強している人にとっては、解きやすい問題であった。本番では、横の人がカンニングで外に連れていかれたり、雰囲気にのまれそうになったこともあったが、日々勉強してきた事しか結果に出ないので落ち着くことが大切である。教育学部の試験では、世界史と英語を解き終わった後に、合格ラインまでほぼ達していた。早稲田大学の試験では、英語と世界史を押さえれば、合格する確率は高くなると思うので、努力が反映される。入試で大切なのは、自分なりの勉強方法を見出して、コツコツ勉強していく事が大切である。頑張れ、受験生。