経験の共有

面白い事を追いかけて、それを自分の目で確かめる事をモットーに

ルワンダ虐殺とウクライナ 自分が感じる事

 

現在、ウクライナで戦争が起き、多くの人が命を落としている。

遠い国ウクライナ。そう考える人も少なくないかもしれない。

ニュースで放送され、リアルタイムで現地の状況が流れてくる。

2022年に本当にこんなことが起きるのか、非現実的な光景を見て、

どこから遠い国で起きている信じられない事、日本では考えられない事のように思える。

 

今回の戦争が起こった背景、ロシアとウクライナの関係はすでに多くの媒体を通じて説明されているので、そこには触れず、私のこれまでの経験から、感じている事をシンプルに記載する。

 

私は、大学時代にアフリカ・ルワンダへ訪問し、現地の一般家庭でおおよそ数か月過ごした。目的としては海外に行ったことがこれまでなかったので、どんな感じなのかなと肌で感じたかったのと、1994年に起きたルワンダジェノサイドがきっかけであった。論文・本・YOUTUBEを通じて自分なりに色々調べたり学んだけれど、実際行ってみて、どんな状況なのか深く理解したい、そう思った事がきっかけだった。

卒業論文ルワンダジェノサイドについて作成した。

 

最も衝撃的だったのは、ルワンダジェノサイドの虐殺記念館という施設に訪問した時だった。虐殺でなくなった方の写真が施設の中にいくつも貼られていて、親族と思われる人がずっと泣いていた。また、自分の足元のコンクリートには、亡くなった方たちが埋められている事を聞き、正直、鳥肌がたった。

こんな世界があること・こんな出来事が本当にあったということ、それ自体は本とかで理解していたものの、現地に行き初めて肌で感じた事で、身近に感じられた。

罪のない人たちが命を無くし、20年以上前の事に対して、今もなお悲しみ、悲しんだとしてもどうにもならないような事が起きているんだと思うと、

人間の争い・戦争ってなぜそこまでしてやるんだろうと思った。

それをきっかけに、就職活動では、途上国でヘルメットをかぶって、インフラを整えるような仕事に就いた。間接的になにか出来ないか、そう思った自分がいた。

 

話は逸脱してしまったが、現在、ウクライナでも罪のない人達が命を奪われている。

色々、起きた理由・関係はあったのだと思う。

けれど、関係ない罪のない人たちが、国の政治の中枢・指導者の人たちの意向で

命を奪われるのは許されない事だと思う。

スイッチを押せば、ミサイルが発射され、命令を下せば破壊活動を続ける。

恐らく、感覚がおかしくなっているんだと思う。手触り感がなく、自分が行っている行動への理解が追い付いていないかもしれない。

その迷惑を、一般の人たちが被っている。

この悲しみは、戦争が終わってからも続いていくことである。

 

今、自分が出来る事は正直あまりない。

ウクライナへ行く義勇兵に立候補するほど、勇気があるわけではないし、

仕事を手放して、ウクライナのために、何かをするわけでもない。

ただただ祈るだけである。早く戦争が終結して欲しい。